クリニックレポート
2022.11.8
小石マタニティクリニックの院長先生

当院の院長、小石多紀子医師には色々な逸話がたくさんあります。(それだけ年齢を重ねているということ?)

かつてのコードネームは「TSURU」。

これは「鶴の一声」から来ています。まさに院長1人でクリニックを切り盛りしていた頃、院長先生の一声、皆強いリーダーシップに引っ張ってもらっていました。今は少しずつ副院長小石麻子先生であるとか、部長の小石プライヤ奏子先生にそれぞれの担当を分け、クリニックの組織的には実は温かく見守る存在(自称)だそうですが医師としてはバリバリの現役で皆様の健康のため奮闘する姿は止まるところナシです!

生い立ち・・・先代院長小石今朝光石を父に持ち、一人っ子として育ちました。幼い頃は日本舞踊(お金がかかりすぎるとのことで、挫折)、ピアノ、絵画でも腕を鳴らしたそうです。

年代としては団塊世代の真っただ中で同級生の数多数、中には全国規模の飲食店を経営される偉い社長さんになった方、院長と同様ここ豊橋の地で地域医療に貢献する医師になった方などいらっしゃるとか。

今でも婦人科にかかられる、院長の幼少期、青年期を知る患者様からは「成績抜群で雲の上の人だったのよ!」などお話を伺うこともあります。「男の人に負けない職業に就く」という信念のもと、24歳で東京女子医科大学を卒業しました。

36歳の時に先代院長が亡くなり、昭和63年、豊橋市八町通りの小石産婦人科を小石マタニティクリニックと改名し院長となります。それから平成18年つつじが丘に新築移転する間、3人の美しい娘たちはすくすくと育ち、現在、長女が副院長小石麻子医師、次女が部長小石プライヤ奏子医師です。

かれこれ医学の道に身を投じて早50年弱?!とにかく患者様のために身を粉にして来た頑張り屋さんです。「体は小さくてもやることはビックですね!」そんな言葉もいただいたことがありました。まだまだ皆様のために診療を続けることと思います。本人にその気はないようですが、患者様からは「厳しい先生」と言われることがあります。でも本当はとてもまじめでチャーミングな院長です。